大阪高等裁判所 昭和44年(う)1356号 判決 1970年5月29日
被告人 山下弘 外二名
主文
本件各控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は被告人三名の連帯負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人岡野富士松、永田彦一郎連名作成の控訴趣意書、ならびに控訴趣意補充書に記載のとおりであるからいずれも引用する。論旨は要するに、原判決の事実誤認を主張し、(1)被告人らはいずれも安全管理上の責任を負うものではなく、ことに本件は石川島播磨重工業株式会社の下請業者である寿鉄工株式会社の工員が同社の職長組長らの指揮監督のもとに作業中発生した事故であるから被告人らには全く責任がない。(2)本件爆燃事故は、当日右舷五番タンク内で山下勝らがマグネシウム取付作業中、本船側においてタンク内の加熱管の水圧テストを実施したため、右加熱管にあいていた小孔から、管内に滞留していた揮発性の強い原油が排出され船倉底に溜つていて、これに熔接の火花が引火して燃えて高温となり、附近の残留スラジからガスが発生して爆燃したものである。(3)被告人らのみならず安全管理を専門とする工務課等においても、ダターワースした後のスラジは危険がないものと観念していたのが実情であるから、本件のように本船側においてバターワースして入港した以上スラジが燃えたりスラジからガスが大量に発生し、これが爆燃する等の事態の発生はこれを認識予見することができなかつたというべきである。(4)エアーフアンを使用せず、消火器を携行させなかつたことも事実であるが、ほんらいエアーフアンは作業現場に涼風を送り込むことを主眼としており本件事故の発生とは関係がない、消火器が本件五番タンク内にあつたとしても本件程度の爆燃に対しどれだけの効果を発揮しうるものではなく、やはり事故防止には関係がない、というのである。
しかし原判決挙示の証拠によれば原判示事実は証明十分である。すなわち右の証拠によれば、(1)被告人三名は石川島播磨重工業株式会社相生第一工場修理部船体工場課に勤務し、被告人山下は船体修理工事担当技師として、船体工場課長明間和夫を補佐して、船体修理工事の施行に際し、特定の工事現場における工事責任者として、工事の指導監督及び事故防止の任務を担当していた者であり、被告人竹川は右明間課長に直属し担当職長として配下作業員を指揮監督して、現場において直接に事故防止の任務を担当していた者であり、被告人玉田は右竹川を補佐して担当班長として配下作業員の指揮監督ならびに事故防止の任務を担当していた者であることが認められる。所論は被告人山下は明間課長のスタツフであつて、ライン組織には属せず、ラインとしては明間課長―竹川職長―玉田班長―作業員という系列が確立されており、被告人山下には竹川職長以下に対する命令権はあたえられてなかつたから、被告人山下には作業員の安全を図る責任はなかつた、というけれども、いわゆるライン・スタツフシステムとは、経営管理上、命令系統の一元化を図り、無用の混乱を防止するための組織であつて、必ずしも業務上過失致死傷事件における業務上の責任者を決定するうえにおいて絶対的基準となるものではないのみならず、本件においては、修理工事全般について作業員の安全を図る責任を有する修理部長はもとより、船体修理工事について同様の責任を有する船体工場課長ですら、同時に七、八隻の修理船を担当するのが実情であつて、とうてい船体修理工事の全般について具体的かつ直接的に工事の施行を指揮、監督し、作業員の安全を図ることはできないのであるから、課長の手足となつて、特定の修理船の船体修理工事を担当する工事担当技師たる被告人山下において、担当作業場の作業員の安全を図り、不安全行動の是正に努めるべきことは当然であつて、被告人山下がいわゆる課長のスタツフの地位にあつたからといつて、そのことから直ちに安全を図る義務がないということはできない。これを修理船安全管理基準についてみるに、工事担当技師たる被告人山下の任務は、船体工場課長を補佐し担当修理工事に起因する事故災害の防止のため、ガスフリーを確認すること、防火設備の設置を連絡すること、ガス発生の危険がある場合に、エアーフアンの設置を連絡すること、職長、担当安全推進員に、工事予定および特に注意を要する事項を連絡すること、と定められており、したがつて被告人山下の右の義務があることは明らかである。当時石川島の相生第一工場には、船工、艤装、検査、船体、修理の各部のほかに工場長直轄の衛生安全管理課があり、工場全般の安全管理の企画を担当し、各部は各部ごとに別の機構を設けて安全管理を図り、修理部においては、工務課をおき、工務課長のもとに安全スタツフと安全推進員を擁し、修理部各課の安全管理を担当していたことは所論のとおりであるが、これ等は安全管理の専門的立場から、不安全行動の是正につとめるとともに、特に専門的技術ならびに器具を要するガス検知を担当していたものであるが、もとより船体修理工事、特にタンク内の熔接作業等を実施するものでなく、その作業に常時立会、指導助言をする立場にはないものであるから、工務課に専門家がいるからといつて、安全管理はすべて工務課の責任であり、被告人らに責任がないと断定することはできない。のみならず角井信三の供述によれば、安全推進員として、作業員の安全指導、不安全行動の是正助言、ガス検知等を行つていた同人は、本件事故発生の五日前である八月一六日からケラブノス号右舷五番タンクのガス検知を実施し、同日〇・一二パーセント、八月一九日〇・〇四パーセント、八月二〇日〇・〇三パーセント(同日午前九時)、〇パーセント(同日午前一一時)という計測値を得、その都度所定のガス濃度の掲示を行い、かつ屡々自らタンク内に立ち入り、スラジの除去が不十分であることを現認し、これを逐一被告人三名に連絡し、スラジ除去の徹底等所要の措置をとるべきことを助言していたのであつて、安全推進員としての義務は十分つくしており、それ以上は助言をうけた被告人三名の責任であると考えられる。また所論は被告人山下には職長以下に対する指揮命令権がないから同被告人において安全義務をつくそうとしてもできない、というけれども、被告人山下は船体工場課長の補佐として、自分の発見した不安全行動については、職長以下に対し直ちに是正を求め得べきことは事柄の性質からいつて指揮命令権以前の問題として当然これをなし得べく、同時にこれを課長に報告すべく、万一かかる当然の事理に従わない職長以下があつて山下のようなスタツフには職長以下に対する命令権がないという理由で、山下の要請にもかかわらず不安全行動を是正しないことがあれば、山下としては直ちに課長にその事態を報告すれば足り、その後は課長の職権をもつて事態の解決を図るべく、山下としては右の報告の限度において、その義務をつくしたものと解すべきであるから、このような処置さえ執つていない本件にあつて、所論は所詮失当というほかはない。次に本件の被害者たる工員、北川明、川野利三郎、田中直行、小林広見、山下勝が、下請の寿鉄工所属の工員であつたことは所論のとおりであるが、そのことから直ちに被告人らにその安全を図る義務がないとは即断できない。すなわち通常の状態で下請工事が施工せられた場合にあつては、工事施行の計画、工員の監督等の当面の責任者はその下請業者であるから、その労務者の安全を図る義務も、第一次的にはその下請業者が負うべきものと解するのが相当であるが、下請の実態は千差万別であるから、その実態が下請業者は単に、労務者を提供するのみであつて、工事の施工及びその指揮、監督を元請業者がするような場合には、たとえ形式的には下請の形をとつていても、その労務者の安全を図る義務も元請業者が負うべきものと解すべきである。以下これを本件について考えてみると、寿鉄工株式会社の石川島構内に設けられた船舶部出張所の責任者である牛島信一の供述によれば、「同会社は本件ケラブノス号の修理工事に関しては、当初左舷のタンクのみを下請していたものであつて、本件右舷五番タンク内の工事は、下請したことはなく、したがつて、本件事故に際しても、同タンクに自社の工員が入つて作業していようとは全く考えていなかつた、結局本件被害者らは、寿鉄工の笹生組長、内海班長らが直接石川島から、人員を出すように言われて出したものではないかと思う」というにあり、右牛島の下で右構内出張所の次長格をつとめていた佐々木薫の供述によれば、「本件事故発生の前日、右出張所に工員真田敏男外一名が廻されてきた処、何のためにきたのか分らなかつたので、牛島に尋ねた結果、石川島の明間課長から寿に対し人員を出すよう要請があつたので手配したものと分り、折しも笹生組長がきたので、石川島の人員配置等を担当する金地職長のもとにこの二人を連れて行かせた、やがて笹生が帰つてきて、右の二人はケラブノス号のマグネシウム取付作業に従事させられた、と報告した、通常、このような人員だけ提供するというやり方はしないが、人員を提供したばあいはその安全を図り監督をする責任は、石川島にあると考えている」というにあり、寿鉄工の組長であつた笹生艶雄の供述によれば、「同人は本件当時、石川島から緊急工事だから応援を頼むという要請をうけて、人員だけを提供するというやり方は経験していたところ、本件事故の二日前、八月一九日朝、右の構内出張所に行つたら、寿の第二工場から真田、森田の二名の工員がきており、佐々木薫から、金地職長のもとにこの二人を連れて行くように言われ、連れて行つたら、この二人はケラブノス号の作業に従事することに決つたが、自分としては別の船の修理工事にかかつていたから、その後この二人の監督をしたことはなく、単に石川島に人員を提供したのみであつた、翌日は北川、小林の二名の工員を石川島に提供したが、やはり前日同様自分としては、この二人の指揮監督はしていない、誰か石川島の職長班長の指揮監督をうけていたと思う、その翌日、すなわち事故当日も北川、小林の二名の工員を提供し、自分はケラブノス号から三、四百メートル離れた別の船で作業し、右の二名を指揮監督することはなかつた、ただ当日朝玉田班長に対し、自分は他の船に行くのでこられないから宜しく頼むと言い、かつ前日北川から聞いていた北川らの作業場所である本件右舷五番タンクはスラジも多く、足場も不完全なので所要の処置をしてほしいと申し入れた、」というにあり、当時寿鉄工の熔接のボーシンをしていた森田百合松の供述によれば、「同人は、ケラブノス号のエンジン場の修理工場に従事させるべく、本件被害者山下勝をエンジン場に行かせたことはあるが、同船のタンク修理には全く関係していない。したがつて山下を本件右舷五番タンクに入らせたことはなく、これは山下がエンジン場の仕事を終わり一服していたところ玉田に命じられ入つたものらしい、自分は事故当時は別の英国船に作業に行つてた」というにあり、当時寿鉄工の仕上班長であつた内海徳蔵の供述によれば、「同人は班員一二、三名を配下に持ち、所長牛島、係長川崎、組長幸内の指揮下において作業に従事していたが、石川島の下請作業をする時には、石川島の現場担当の職長班長の指揮もうけて作業をしていたところ、本件事故の前日までは、フランク・フオード号、ペンテリー号の修理工事に従事し、それが終了したので、金地職長に明日からは何をするか、尋ねたら、ケラブノス号の修理工事にかかることだけは分つたが、担当の職班長たる竹川、玉田がいなかつたため、具体的な作業内容までは分らず、翌二一日朝石川島の現場事務所に行つた時、幸内組長から、ケラブノス号のマグネシウム取付作業に従事するよう命ぜられ、川野利三郎、田中直行らの工員をつれて同船に行き、そこで玉田班長から左舷三番と右舷五番のタンクに入るよう命ぜられ、工員らに対し、誰でもいいから二人五番にかかれといつたら、川野、田中の二人がこれに応じて五番に入り、その余の工員は三番タンクに入らせ、このように配置したことを竹川、玉田に報告し、フランク・フオード号の様子を見に行き、一時間して帰つてきて右舷五番タンクに行つてみたら、川野、田中、それに小林が休けいしていたので一緒に休けいしたうえ、共にタンクに入りマグネシウム材をおろすのを手つだい、やや人手不足と思われたので、一旦外に出て工員を一人つれてきて、手つだわせ、一通りかたずいたのでその者をもとの作業にもどし、自分もタンクから出た時、事故が発生した」というにあり、以上を総合すれば、本件右舷五番タンクはほんらい寿鉄工の下請の範囲ではなく(金孝進の供述によれば右舷のタンクは三宝工業の下請したものである)石川島から緊急工事だから応援してくれ、と要請され、寿鉄工としては具体的には何の作業をするのか分らぬまま工員だけを提供し、玉田らの命ずるまま配置して作業させたものであつて、したがつて本件右舷五番タンクの工事については、寿鉄工としては派遣工員に対し、確たる責任者をつけることもなく、工事施行の計画、組織等も持つことなく、全く石川島の管理支配に委ねる意思で工員のみを提供したもので、その工員に対する安全管理も当然石川島において行うものと期待し、実際、竹川、玉田において、これら工員を管理していたものと認めるに十分である。したがつて後記年間下請契約の問題も考慮に容れて考えれば、本件工事は、形式的には一応寿鉄工が石川島播磨造船から下請したものと言い得るであろうが、かかる形態の下請にあつては、下請業者は元請業者が必要とする人員を供出するのみであつて、工事についての指揮権、監督権は全然なく、元請業者から派遣せられた監督者、指導者の指揮のままに労務を提供するに過ぎず、この場合の下請企業の工員の地位は石川島が直接雇用して作業させる本工員のばあいと何ら異るものではなく、下請業者が一個の企業者として配下工員を指揮監督し、その安全を図るべき事実上の根拠が何ら存しないのであるから、これら下請工員の安全を図る義務はすべて元請業者たる石川島の側にあつたものと解しなければならない。所論は、石川島と寿鉄工との間に年間下請契約が締結されていることから本件右舷五番タンクにおける作業も右契約に基くものであり、下請作業である以上、寿鉄工側に工員の安全を図る義務があるというけれども、年間下請契約が毎年締結されることは所論のとおりであるが、右契約の存在は、直ちに本件のような特殊な形態における工事の指揮監督関係の下にある下請工員らに対する安全義務の所在を決定する根拠となるものではない。しかも後記(2)において判断するとおり本件事故の根本的な原因は右舷五番タンク内のスラジの除去が不十分であつたことにあるところ、スラジの除去を含む安全なる作業環境の実現は、現実に作業する作業員が下請会社の工員であるばあいでも、常に元請業者たる石川島の責任であると解すべきことは、西村典、明間和夫の各供述に照らし明らかであるから、少くともこの点に関しては、元請業者側の現場責任者である被告人等には業務上の注意義務があると謂わざるを得ず、所詮本件被害者が下請の工員であつたというようなことは被告人らの刑責の有無を判断するについてさしたる重大な意味をもつとは解し難い。
(2)次に本件事故の原因は、原判決が説示するとおり、本件右舷五番タンクは、スラジの除去が極めて不十分で、事故発生時になお底部において一〇ないし二〇ミリメートル、内壁において、三〇ないし四〇ミリメートルの層をなしたスラジが附着し、これから発生するガスがタンク内に滞留していたところ、本件被害者山下、北川両名が船底において、マグネシウム取付熔接作業を実施中、約三千度にも昇る熔接の火花が船底のスラジに落下し、これに引火し、燃え広がり、盛夏の外気温の影響もあつて爆発限界に達していた右滞留ガスにさらに引火して爆燃させたものと認めるに十分である。所論に鑑み記録を精査するも、ケラブノス号一等航海士アレキサンドルス・フイリツプス、船長カバノクロス、水夫コンスタンチノス・ブールダスの各供述調書によれば、アレキサンドロス・フイリツプスは本件事故当日午前九時五〇分頃から船長の命により二等航海士ジヨウゼビスおよび右ブールダスを指揮して各船倉の加熱管の水圧試験を実施しようとしたが、水圧不足のため、タンク一個ずつ試験することにし、右舷一一番タンク、左舷一一番タンク、左舷九番タンク、右舷九番タンク右舷七番タンク、左舷七番タンク、左舷五番タンクの順に試験をおわり、次に右舷五番タンクの試験にとりかかるべく、右ブルーダスを同タンクに行かせた時、本件事故が発生したことが認められ、いまだ、右舷五番タンクには水圧をかけるに至つてなく、同タンクに通じるバルブを開いたこともなかつたという状態にあつたことが認められ、また北川明の供述に徴すると、同人が同タンクで作業中船底を通る加熱管から水、湯等が噴出していた事実はないと認められるから、本件事故発生当時ケラブノス号側において、右舷五番タンクの加熱管のテストを行ない、之に水圧をかけたことは、とうていこれを認めることができない。司法警察員作成の検証調書によれば、右のタンク内を通る加熱管に小孔が三個あることが認められ、又昭和三八年八月二四日付ケラブノス号における災害に対する安全会議議事録(石川島播磨重工業部内で開かれた本件事故の原因究明に関する会議の議事録)には、本件の原因として、スラジの残存とこれからガスが発生したと思われること、消火器を携行していなかつたこと、エアーフアンをかけてなかつたこと、安全教育の不徹底をあげている外、所論の点につき「加熱管から水がもれていたことが、直接の本件の原因ではないかも判らないが、スラジの状態を変える作用をしたかも判らない」という記載があるけれども、右記載はそれ自体漠として理解しがたいばかりでなく、(所論は、事故原因を所論のように理解し、主張することは、永年の得意先である船主の船を取調のため相当期間けい留することになり、損害をあたえることになるので、さしひかえていたようにいうのであるけれども、船主に対して一応遠慮することは理解できないではないが、石川島の社内において持たれた右の安全会議においては、今後の災害防止のため社内限りの検討反省として、船主に対する顧慮をまじえることなく、客観的に原因を解明し、その対策を樹立することが必要であり、かつ可能であつたと考えられるから、所論のような理由で所論の事故原因が安全会議議事録に記載されなかつたものとは、とうてい信じられない。)本件事故当時ケラブノス号側では未だ本件右舷五番タンク内の水圧テストを実施していなかつたことは前説明のとおりであるから、弁護人の主張は認め難く、他に之を認めるに足る証拠はない。これを要するに、本件事故の原因は前記説明のとおりであつて、もつとも根本的な原因は青木友の証言に照らしスラジの除去を徹底させなかつたところにあるというのほかなく所論は採用できない。
(3)次にバターワースしたスラジは、それほど危険なものではないと石川島関係者間において信じられていた事実は一応これを認められないではないが、そのようなスラジといえどもかなり高度の危険性を有するものであることは、赤川浩爾の鑑定書(スラジの引火温度は一一〇度Cから一二〇度C、着火温度は一三〇度Cから一四〇度Cであつて、スラジが七〇度C以上のとき熔接スラグにより引火することあり、スラジが一〇〇度C以上であれば熔接スラグにより着火することあり、すらじが一一〇度C以上であれば熔接スラグの落下がなくても着火することがあり、熔接作業の結果、スラジの附着している鉄材が高温になつているばあいには熔接作業により着火することがある)に徴して優に認められるところであるから、客観的には石川島関係者間における一個の誤解にすぎなかつたものにほかならないところ、本件右舷五番タンクのスラジは原判決も詳細に説示するとおり、その除去の不十分なことにおいて未曽有のものがあつたうえ、ガス濃度も、事故発生の一週間前である八月一四日〇・二パーセント、一六日〇・一二パーセント、一七日〇・二パーセント、一九日〇・〇三パーセント、その後〇パーセントというように、火気使用の安全限界である〇・〇五パーセントに比しかなり高率のガス濃度が暫く続いたうえ、一且低下したガス濃度が再び上昇するという経過をもたどつた経緯があつたのであるから、かような特殊異常なタンクに関しては、安易にバターワースしたスラジはさして危険ではない、という在来の観念に倚頼することなく、むしろそのような観念が通用しない特殊事態であることを看破し、何より残存するスラジの徹底除去にまず努力すると共に、一旦ガス濃度が〇パーセントとなつた後も更にガス検知を行なつて安全性を確めるのが工事担当技師、ないしは職長、班長たる被告人らの責務であつたというべきであるし(ガス濃度の検査は一旦〇パーセントとなればその後更に検査をしないのが常識である旨被告人等は主張するところ、通常の場合はそれで十分と言い得るかも知れないが、前記の様な異常経過を示している本件の場合には当らないと解すべきである。)、右のような経過に注目すれば、被告人等は在来の観念に従つていたとはいえ、本件右舷五番タンクの状況は之により律し切れない特殊事態であることに気付くことは何ら困難なことではないと考えられるから、被告人らに予見可能性がなかつたとすることはできない。
(4)タンク内作業の事故防止についてエアーフアンを用い換気につとめることの必要性は青木友、平野石雄の各供述に照らし明かであつて、エアーフアンの使用は主として作業場に涼風を入れることにあるとする所論は独自の見解で採用できない。従つて八月二〇日夜、ようやくガス濃度〇パーセントとなつた右舷五番タンクから、折柄設置運転中のエアーフアンを取外した被告人玉田の行為及び翌二一日右エアーフアンが撤去されていることを知りながらそのまま放置した被告人山下、同竹川の行為はいずれも業務上の注意義務を怠つたものと解せざるを得ない。また北川明の供述によれば、同人が右舷五番タンク船底において、竜骨に取り付けるべきマグネシウムインゴツトの足すなわちアングルを持ち山下勝がこれを熔接しようとして、スパークさせた時火花が飛んで、船底に落ち、相互に二、三〇センチメートルはなれた三個所でマッチの火ぐらいに火がついて続いて燃え出したので危険を感じ、消火器をとりに外部甲板めがけてかけ上る途中本件爆燃事故が発生したというのであつて、消火器を船底まで携行しておれば直ちにこれを消し止め大事に至るのを防ぐことは十分可能であつたと考えられるから、被告人等が、本件右舷五番タンク内の作業場に、作業員が消火器を携行していないという不安全行為に注意を払わず、之を放任したままで作業を進めたことは、その業務上の注意義務を怠つたものと謂わざるを得ず、又消火器を携行せしめなかつたことが本件事故と因果関係がないとの所論も採用できない。その他原判決には何ら所論のような事実誤認はなく、論旨は理由がない。
よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用の負担について同法一八一条一項、一八二条を適用して主文のとおり判決する。